うつ病で退職した35歳の体験談──傷病手当金で家族3人、1年を凌いだ記録

コラム・体験談

企画書のファイルを開こうとして、カーソルが止まった。3秒、10秒、30秒。画面の白が目に刺さる。広告代理店のプランナー、35歳。月4本のキャンペーンを同時に回して、終電で帰り、始発に近い時間にまたデスクに座る生活を8年やった。その果てに、ある水曜日の午前10時、右手の人差し指がマウスの上で固まった。

うつ病だった。退職して、妻と3歳の娘を抱えて、傷病手当金で1年かけて生活を建て直した。この記事は、その全記録。カードローンの残高も、月々の収支も、隠さずに書く。

「もう少し頑張れる」を8年、繰り返した

異変に気づいたのは、退職の1年半ほど前だったと思う。

朝、目覚ましが鳴っても身体が起き上がらない。正確には、起きようとしているのに、腰から下にセメントを流し込まれたような重さがある。5分、10分。やっとベッドの端に座って、そこからまた動けない。妻が「大丈夫?」と声をかけてくるのが、なぜか申し訳なかった。

会社に着けば、それなりに動けた。クライアントの前では笑えたし、企画書も通した。ただ、席に戻ると急に電池が切れる。トイレの個室で5分間、目を閉じる。それが10分になり、15分になった。

「もう少し頑張れる」が口癖だった。

上司には言えなかった。広告業界で「メンタルがきつい」と口にしたら、案件を外される。外されたら評価が下がる。評価が下がれば給料が——。3歳の娘の保育園代、家賃9万5千円、妻のパート収入だけでは足りない差額。そういう計算が頭を回るたびに、「まだ大丈夫」と自分に言い聞かせた。

ある金曜の夜、帰宅して玄関で靴を脱ごうとしたら、涙が出た。理由がわからない。悲しいのか疲れたのか、それすら判別がつかない。靴紐をほどく指がぼやけて、そのまま玄関のタイルに座り込んだ。

「……ごめん」

駆けてきた妻に、何に謝っているのか自分でもわからないまま、そう言った。

身体が止まった朝、妻に借金を打ち明けた夜

翌月の水曜日。冒頭に書いた、あの朝が来た。

企画書のファイルが開けない。メールの返信が打てない。キーボードに手を置いているのに、指がキーを押せない。身体が「もう無理だ」と言っている。頭は「今日中に出さなきゃ」と叫んでいる。その乖離が、気持ち悪かった。

その日、早退した。翌日から出社できなくなった。

心療内科を受診したのは、動けなくなって5日目。妻が予約を取ってくれた。自分では電話できなかった。待合室の椅子に座っているだけで、肩に力が入って呼吸が浅くなる。診察室で医師に症状を話そうとしたら、また泣いた。今度は理由がわかった。「もう頑張らなくていい」と、誰かに言ってほしかっただけだ。

診断は、うつ病。

会社には診断書を出して休職に入った。1ヶ月では回復せず、延長して、結局3ヶ月後に退職届を書いた。

退職が決まった週、もうひとつ認めなきゃいけないことがあった。カードローンの残高。70万円。

この1年半、生活費の不足をカードローンで埋めていた。終電を逃した日のタクシー代、疲れた日の外食、「自分へのご褒美」と言い訳しながら少しずつ。妻には言えなかった。35歳で子供もいて、70万の借金を黙っている自分が情けなかった。

退職の翌週。夕食後、娘が寝たあと、テーブルの向かいに座って話した。

「……カードローンで70万、借りてる」

妻はしばらく黙っていた。怒鳴られると思った。泣かれるとも思った。どちらでもなかった。

「……わかった。一緒に考えよう」

あの夜の声を、たぶん一生忘れない。

傷病手当金を知った日

借金を打ち明けた翌日から、妻が動き始めた。パートの合間にスマホで制度を調べて、夜に「これ読んで」とURLを送ってくる。最初の数日は失業保険や生活福祉資金の情報だった。

4日目の夜。妻からLINEが来た。「傷病手当金って知ってる?」

知らなかった。名前すら聞いたことがない。

健康保険に加入している人が、病気やケガで働けなくなったとき、給与のおよそ3分の2が最長1年6ヶ月支給される制度。うつ病も対象になる。在職中に支給が開始されていれば、退職後も受給を継続できる場合がある。

自分の月給は額面35万円。3分の2なら月に約23万円。

翌朝、心療内科に電話して傷病手当金の申請に必要な意見書のことを相談した。休職中の診断書があったおかげで、話はスムーズだった。ただ、申請書の記入に2日かかった。「療養のため労務に服することができなかった期間」——自分が「働けない」と書面に書くこと自体がつらくて、何度も消しては書き直した。

妻が横で記入見本を見ながら「ここはこう書けばいいんじゃない」と言ってくれなかったら、途中で投げ出していたと思う。

退職後6ヶ月間の家計簿を、全部出す

数字を晒すのは正直キツい。でも、当時の自分が一番ほしかったのは「結局いくらで暮らせるのか」のリアルな数字だった。

退職時点の状況を整理する。

    • 夫婦の貯金:155万円
    • カードローン残高:70万円(打ち明けた後に一括返済)
    • 退職金:22万円(勤続8年・中小代理店)
    • 実質の手持ち:107万円

ここから6ヶ月間の推移を書く。収入は傷病手当金と妻のパート(月約5万円)の合計。支出にはカードローン完済後の生活費のみ。

退職後 収入 支出 貯金残高 備考
1ヶ月目 5万円 27万円 85万円 傷病手当金を申請済。入金はまだ
2ヶ月目 5万円 26万円 64万円 保険を見直して月8,000円削減
3ヶ月目 51万円 25万円 90万円 傷病手当金の初回入金(2ヶ月分遡及)
4ヶ月目 28万円 24万円 94万円 主治医に自立支援医療を教わり申請
5ヶ月目 28万円 23万円 99万円 国民年金の免除申請が通った
6ヶ月目 28万円 23万円 104万円 収支が安定。月5万ずつ貯金が戻る

1ヶ月目と2ヶ月目が、一番きつかった。傷病手当金は申請から初回入金まで2ヶ月近くかかる。その間、収入は妻のパートだけ。貯金が毎日減っていく感覚は、うつの症状とは別種の、じわじわした恐怖だった。

3ヶ月目に初回の入金があった日、通帳を二度見した。妻にLINEを送ったら、スタンプがひとつ返ってきた。それだけで十分だった。

4ヶ月目、主治医から「自立支援医療の申請もしておくといいですよ」と言われた。心療内科の通院費が3割から1割になる制度で、月に数千円の差だけど、この時期は千円単位の節約が精神的に大きい。市役所で国民年金の免除申請も通り、5ヶ月目にはようやく「来月も大丈夫だ」と思えるようになった。

6ヶ月目。月の収支がプラスに転じた。劇的ではない。でも、夜中に目が覚めてスマホで口座残高を確認する癖が、いつの間にかなくなっていた。

知っていたら、もっと早く動けた

振り返って思う。退職前に傷病手当金の存在を知っていたら、もっと早く休めた。

「辞めたら収入ゼロになる」——その恐怖が、限界を超えてなお出社し続けた最大の理由だった。月23万円の支えがあると知っていれば、身体が壊れる前に自分から休職を選べたかもしれない。

いま同じ場所にいる人に、3つだけ伝えたい。

うつ病の診断書は、オンラインの心療内科でも取れる。即日対応のクリニックもある。まだ受診していないなら、うつ病の診断書を即日もらう方法を読んでみてほしい。

傷病手当金の申請は自分でもできる。業者に数十万円払わなくても、書類を揃えて郵送すれば済む。手順の詳細は退職後の傷病手当金の申請手順にまとめてある。

退職後の過ごし方や、傷病手当金以外に使える制度(自立支援医療・国民年金免除・住民税減免など)はうつ病で退職した後の過ごし方と利用できる制度に一覧がある。

あの朝、指が止まってよかったとは思わない

「病気になってよかった」とは思わない。あの経験で強くなれた、なんて綺麗事を並べる気もない。うつ病にならずに済んだなら、そのほうがよかったに決まっている。

ただ、ひとつだけ。

あの水曜の朝、指が止まったとき。申請書を2日がかりで書き上げたとき。通帳に「傷病手当金」の文字を見つけたとき。——その都度、ほんの少しだけ「大丈夫かもしれない」と思えた。

制度に助けられた。妻に助けられた。情けない姿をさらしてでも「助けて」と言えたことが、結果として家族3人の生活を繋いだ。

もし今、似たような夜を過ごしている人がいるなら。まずは使える制度の情報だけでも手元に置いておいてほしい。知っているだけで、暗闇の輪郭が少しだけ見えるようになる。それがわかったのは、自分にとってはあの1年間で一番大きな収穫だった。

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※この記事は2026年2月時点の情報に基づく個人の体験・見解であり、法的・医学的アドバイスではありません。
制度の詳細は厚生労働省・協会けんぽ・ハローワークの公式情報をご確認ください。
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