目覚ましが鳴っている。6時半。手を伸ばしてアラームを止める。それだけで、今日のエネルギーを全部使い切った気がした。
布団が重い。3キロの羽毛布団のはずなのに、身体がコンクリートに沈んでいくような感覚。起き上がれない。Slackの未読は昨夜から17件。8時半にミーティングがある。わかっている。でも——指先すら動かない。
天井の染みを数えている間に、7時を過ぎていた。
これは、適応障害で3ヶ月休職した私の記録。同じような朝を過ごしている人がいるなら、この先どうなったのか、全部書く。公式LINEでも制度まわりの情報を配信しているので、あわせてどうぞ。
異動の辞令は、4月だった
Web制作会社でディレクターをしていた。入社5年目。それまではコーディングの進行管理が中心で、客先に出ることはほとんどなかった。
4月の人事異動で、新規事業チームのリーダーに配属された。聞いたこともないBtoB向けサービスの立ち上げ。メンバーは3人、全員年上の中途入社組。前任者との引き継ぎは30分で終わった。渡されたのはGoogleドライブのスプレッドシート2枚だけ。
「あとは自分で調べて」。
最初の1ヶ月は気力で乗り切った。毎晩23時までオフィスに残り、始発で帰って、3時間寝てまた出社する。土日もSlackの通知が鳴る。返さなきゃ。返した。その繰り返し。
2ヶ月目に眠れなくなった。夜中の2時に目が覚めて、翌日のタスクが頭の中を回り続ける。朝、枕が汗で湿っている。
3ヶ月目の月曜日。アラームを止めたまま、動けなくなった。
「大丈夫?」が、一番きつい
会社を休み始めた最初の週、上司からLINEが来た。
「体調どう? 無理しなくていいからね」
読んだ瞬間、胃の奥が重くなった。先週のミーティングで「スケジュール巻けないの?」と詰めてきた人と同じ指で打たれたメッセージ。
同僚からも来る。「早く元気になってね」「みんな待ってるよ」。
返信できなかった。スマホを裏返して枕の下に押し込む。既読をつけたくない。つけたら返さなきゃいけない。返す言葉が見つからない。
3日、4日、5日。シャワーを浴びる気力がない。コンビニのおにぎりを1日1個。テレビもつけない。ただ天井を見ている。
母親から電話が来たときだけ、声を明るくした。「元気だよ」。切ったあと、自分の嘘くささに少し笑った。笑えたことに驚いた。
心療内科に行くまで2週間かかった
休んで1週間が過ぎたころ、スマホで「朝 起きられない 仕事」と検索していて、「適応障害」という言葉にたどり着いた。症状の一覧を読む。不眠、食欲低下、意欲の減退、集中困難。全部当てはまった。
「心療内科に行ったほうがいい」。頭ではわかっている。でも、クリニックのWeb予約ページを開いては閉じる。翌日また開いて、また閉じる。日付を選ぶ画面まで進んで、戻るボタンを押す。それを2週間繰り返した。
きっかけは、家賃の引き落とし通知だった。
月給25万。家賃7万。貯金は120万あったけど、休職中に満額が出るとは思えない。電卓を叩いて、半年もたないと数字で突きつけられた。
追い詰められて、やっとオンライン心療内科の予約を確定させた。日付と時間帯を選んでタップするだけ。電話はいらなかった。予約完了のメールが届いたとき、スマホを持つ手が小さく震えていた。
「適応障害です」と言われた日
診察当日。デスクにノートパソコンを置いて、パジャマの上からシャツだけ羽織った。下はスウェットのまま。
画面に映ったのは、40代くらいの男性医師。淡々とした声だった。
「いつ頃から眠れなくなりましたか」「食事は取れていますか」「職場に変化はありましたか」
質問に答えるだけで進んでいく。途中、異動後のことを話そうとして言葉が詰まった。5秒くらい、何も言えなかった。医師は急かさなかった。
15分ほどで、告げられた。
「適応障害ですね。環境要因が大きいので、まずは休養が必要です。診断書をお出しします」
名前がつくと、涙が出た。画面をオフにしたかった。でも堪えた。——おかしかったのは環境のほうで、自分じゃなかった。そう思えただけで、胸の圧迫感が少しだけ緩んだ。
初診料と診断書代で合わせて8,000円ほど。診断書は数日後に郵送で届いた。A4の茶封筒を開けるのに、なぜか深呼吸が要った。
休職1ヶ月目──罪悪感の沼
診断書を提出して、正式に3ヶ月の休職に入った。
最初の1ヶ月が、一番きつかった。
身体を休めているのに、頭は休まらない。「サボっているだけじゃないか」「あのプロジェクト、今誰が回してるんだろう」「自分がいなくても平気なら、自分って何だったんだ」。ぐるぐる。止まらない。
主治医のオンライン診察は、最初の1ヶ月は週1回だった。睡眠導入剤を処方され、「まず眠ることを最優先にしましょう」と言われた。薬に頼ることにも罪悪感があったが、夜中に何度も目が覚める生活は限界だった。
平日の昼間にコンビニへ行くのが後ろめたかった。スーツ姿の人とすれ違うたびに目を逸らす。あの人たちは働いている。自分は部屋着のまま、おにぎりを買いに来ただけだ。
体重が4キロ落ちた。食べなきゃと思うのに、味がしない。
傷病手当金の申請書をダウンロードして、記入欄を見て止まった。「療養のために休んだ期間」。その欄を埋めることが、自分の弱さを公式に認めることのように感じた。ペンを置いて、翌日また開いて、また置いて。結局、書類1枚に5日かかった。
2ヶ月目、カーテンを開けた朝
変化は突然じゃなく、じわじわと来た。
ある朝、カーテンを開けた。休職してから初めてのことだった。朝日が眩しくて目を細める。それだけのことが、少しうれしかった。
休職6週目あたりから、散歩を始めた。最初はコンビニまでの往復5分。帰宅するとぐったりして横になった。翌週は10分、その次は15分。少しずつ距離が延びていった。
近所のスーパーで惣菜ではなく野菜を買った。ピーマンとキャベツ。炒めただけの雑な自炊。でも「作って、食べた」という事実が、小さな足場になった。
主治医のオンライン診察は、このころから2週間に1回になった。「散歩しました」「自炊しました」「本を1冊読みました」。前回より報告がひとつ増える。それだけでよかった。
回復は一直線じゃなかった。調子がいい日の翌日に、また一日中ベッドから出られない。「もう大丈夫」と思った3日後に崩れて、落ち込む。その繰り返し。
でも、1ヶ月目の沼底と比べたら、波の底が少しずつ上がっているのは感じていた。
休職して気づいたこと
3ヶ月の休職期間が終わるころ、私は退職を選んだ。復職も考えたけれど、あの部署に戻ることを想像すると夜中に目が覚める。それが答えだと思った。
振り返って思うのは、「休む」ことに許可なんて本来は要らなかったということ。でも当時の自分には、医師の「休んでください」という一言と、診断書という紙が必要だった。
診断書をもらう手順は、思っていたよりずっとシンプルだった。適応障害の診断書のもらい方にステップがまとまっているので、「まず何をすればいいか」を知りたい人は読んでみてほしい。
休職中の傷病手当金は、給与の約3分の2。私の場合、月に約16万円が支給された。申請書に5日かかったけど、自分でできた。傷病手当金の申請方法に手順が全部載っている。
まとめ
あの3ヶ月は、「何もできなかった時間」だと思っていた。でも今は、「何もしなくていい時間だった」と思える。そう思えるようになるまで、休職が終わってからさらに半年くらいかかったけれど。
カーテンを開けた朝も、コンビニまで歩けた日も、おにぎりを1個食べられた日も、ぜんぶ回復の一部だった。
同じような朝を繰り返しているあなたが、布団の中のスマホでこの記事を読んでいるなら。動けない自分を責めなくていい。その朝は、いつか終わる。
ファイルへの書き込みを許可いただければ、上記の内容でファイルを直接更新します。変更点は以下の4箇所です。
| # | 箇所 | 変更内容 |
|—|——|———|
| 1 | 休職1ヶ月目 | 主治医の診察頻度(週1回)・睡眠導入剤の処方を追加 |
| 2 | 2ヶ月目 | 散歩を始めた時期(6週目)・距離の推移(5分→10分→15分)を追加 |
| 3 | 2ヶ月目 | 診察頻度の変化(週1→2週間に1回)に文言調整 |
| 4 | 末尾 | 「休職して気づいたこと」から最終段落を分離し「## まとめ」を新設(約190字の静かな肯定) |
※この記事は2026年2月時点の情報に基づく個人の体験・見解であり、法的・医学的アドバイスではありません。
制度の詳細は厚生労働省・協会けんぽ・ハローワークの公式情報をご確認ください。
心身に不調を感じている方は、必ず医療機関にご相談ください。

