退職後1年間のリアルな家計簿──収入と支出を全公開

コラム・体験談

退職して3日目の朝、リビングのテーブルでノートパソコンを開いた。Excelを立ち上げて、A1セルに「月」、B1に「収入」、C1に「支出」、D1に「残高」と入力した。

銀行員を20年やっていた。他人の資産管理は得意だった。融資の審査では数千万円の返済計画を見て、「この人は大丈夫」「この人は危ない」と判断していた。それが今、自分の口座に180万円しかない現実を前に、手が止まっている。

42歳。妻と、小学生の子どもが2人。住宅ローンは月11万円。うつ病で退職した私の家計簿は、ここから始まった。公式LINEでも退職後のお金まわりの情報を配信しているので、あわせてどうぞ。

退職した翌月の通帳

給与振込がなくなった最初の月末。通帳記帳をしに行く気力はなかったから、ネットバンキングで確認した。

引き落としの列が並んでいる。住宅ローン11万円。子どもの学童保育と習い事で4万8千円。電気・ガス・水道で2万3千円。スマホ2台と自宅のネット回線で1万6千円。食費は妻が管理していたけれど、レシートを集計したら6万2千円。生命保険の掛金、1万5千円。

合計、27万4千円。

入金はゼロ。

数字の羅列を見つめながら、「このまま何も入ってこなければ、6ヶ月半で口座が空になる」と計算した。銀行員だった頃と同じ方法で。冷静に。でも、その「6ヶ月半」という数字が画面に浮かんだ瞬間、指先が冷たくなった。

自分の返済計画が、「危ない」のほうだと気づいてしまった。

12ヶ月の収支を全部書く

あれから1年が経った。毎月つけ続けたスプレッドシートの数字を、そのまま書く。端数は丸めたけれど、おおむねこの通り。

収入 支出 貯金残高 備考
1ヶ月目 0円 27.4万円 152.6万円 退職直後。収入ゼロ
2ヶ月目 0円 28.1万円 124.5万円 国保切替で保険料増
3ヶ月目 0円 31.3万円 93.2万円 住民税の一括請求
4ヶ月目 25.2万円 27.0万円 91.4万円 傷病手当金の初回振込
5ヶ月目 25.2万円 24.8万円 91.8万円 国保減免が通った
6ヶ月目 25.2万円 24.5万円 92.5万円 年金免除も適用
7ヶ月目 25.2万円 24.3万円 93.4万円 食費の見直しで微減
8ヶ月目 25.2万円 25.0万円 93.6万円 子どもの夏休みで微増
9ヶ月目 25.2万円 24.6万円 94.2万円 少しずつ回復傾向
10ヶ月目 25.2万円 24.4万円 95.0万円 妻がパートを開始
11ヶ月目 33.2万円 25.1万円 103.1万円 妻のパート収入が加算
12ヶ月目 33.2万円 24.8万円 111.5万円 1年経過

1年後の貯金残高は、111万5千円。退職時の180万円から、68万5千円減った。

数字だけ見ればそこまで壊滅的じゃないと思うかもしれない。でも、この表の裏側にあった感情を、もう少し書かせてほしい。

3ヶ月目の夜──口座残高が100万円を切った

3ヶ月目が一番きつかった。

傷病手当金の申請は出していた。でも、初回の振込にはまだ届かない。退職後に制度の存在を知り、そこから心療内科を受診して、書類を揃えるのに3週間以上かかった。うつの症状が重い時期で、封筒を開けることすらできない日があった。申請書の「療養のため休んだ期間」欄を埋めるのに、見本と自分の状況を見比べて、2日かかった。

そこに追い打ちをかけたのが、住民税の請求書。退職後の住民税は前年の収入で計算される。銀行員時代の年収は650万円くらいだったから、残額が一括でどんと来た。

93万2千円。

100万円を切った残高を見て、ベッドの端に座ったまま動けなくなった。隣の部屋で子どもたちがゲームをしている声が聞こえる。妻は台所で夕飯を作っている。いつもの夜。でも、この家の住宅ローンを払えなくなる日が、もう数ヶ月先に見えていた。

妻には退職後の家計状況を大まかに伝えていた。「傷病手当金が入るから、なんとかなると思う」と。でも3ヶ月目のあの夜、93万という数字を前にして、「なんとかなる」が嘘になりかけていた。

夜中にトイレに立って、洗面台の鏡を見たとき、目の下のクマがひどかった。銀行員時代の繁忙期でも、あんな顔はしていなかったと思う。

4ヶ月目──傷病手当金が振り込まれた朝

4ヶ月目の中旬。ネットバンキングを開いたら、「ケンポ」の名前で25万2千円の入金があった。

傷病手当金の初回振込。

画面を二度見した。それからしばらく、ぼうっとしていた。泣いたわけじゃない。喜びが爆発したわけでもない。なんだろう、あの感覚。「あ、本当に入るんだ」という、ただの確認。でも、指先の冷たさが少しだけ和らいだのは覚えている。

25万2千円は、在職中の給与の約3分の2。月の支出には少し足りない。でも、「ゼロ」と「25万円」の差は金額以上に大きかった。

同じ週に、妻が国保の減免申請と年金の免除申請をしてきてくれた。私が動けない間に、市役所の窓口まで行ってくれていたらしい。「自分が行くべきだ」と思いながらも電車に乗る気力がなくて、妻が持ち帰ってきた書類に署名するとき、ペンを握る手が少し震えた。情けなさと、感謝と、両方。

5ヶ月目に国保の減免が通り、6ヶ月目に年金の免除が適用された。月の支出が28万円台から24万円台まで落ちた。傷病手当金25万2千円に対して、支出24万円台。赤字がほぼなくなった。

スプレッドシートの「残高」列が、下がり続けていたのが横ばいになり、少しずつ上向きに変わっていく。小さな変化だけど、その折り返しの1行を見たとき、久しぶりに深く息を吐けた。

妻に「ありがとう」と言えなかった話

家計の話から少し逸れるけれど、書いておきたいことがある。

10ヶ月目から、妻が近所のスーパーでパートを始めた。子どもたちが学校に行っている時間帯に、週3日。月に8万円ほどの収入。

妻は何も言わなかった。「家計が厳しいから働く」とも、「あなたの代わりに」とも。ある日の朝、「パート決まったよ」とだけ言って、エプロンを手に出かけていった。

ありがとう、と言えばよかった。でも言えなかった。感謝の言葉を口にした瞬間、「自分が稼げていない事実」を認めることになる気がして。20年間銀行で働いてきた。住宅ローンの審査では「返済能力」という欄を毎日見ていた。その返済能力が、今の自分にはない。

妻がパートから帰ってきて、「おかえり」とだけ言った。妻は「ただいま」と返して、買い物袋を冷蔵庫に入れ始めた。それだけの会話。

「ありがとう」を言えたのは、ずっと後のことだった。

1年後の残高と、やっておけばよかった3つのこと

12ヶ月目の残高、111万5千円。退職時の180万円から約70万円減ったけれど、3ヶ月目に100万円を切ったときのことを思えば、持ち直した。傷病手当金と、妻のパート収入と、国保減免・年金免除のおかげ。

1年間の家計簿を閉じて、3つだけ後悔していることがある。

1つ目。退職前に心療内科を受診しておけばよかった。

在職中に受診して傷病手当金の申請を始めていれば、退職直後の「収入ゼロ期間」はもっと短くなったはず。退職してから制度を知り、それから受診して、書類を揃えて——結果、初回振込まで4ヶ月かかった。この空白の4ヶ月で約90万円が消えた。退職後の傷病手当金の仕組みを退職前に知っていれば、この空白は縮められたと思う。

2つ目。使える制度を退職直後に全部調べておけばよかった。

国保の減免、年金の免除、住民税の猶予。どれも「申請しないと適用されない」制度ばかりで、知らなければ満額を払い続けることになる。私の場合、妻が市役所で教えてもらうまで2ヶ月以上気づかなかった。退職後に使える制度の一覧を最初に見ておくだけで、数万円単位の支出が変わる。

3つ目。「お金の不安」を早い段階で数字にしておけばよかった。

逆説的だけれど、漠然と「お金がない、どうしよう」と怯えているより、スプレッドシートに打ち込んで「あと○ヶ月もつ」と可視化したほうが、精神的にずっと楽だった。布団の中で「お金がない」と繰り返すより、数字にして眺めるほうが、対策が見える。うつの症状がひどいときはそれすら難しいから、まずは退職後のお金の不安を整理するところから始めるだけでも意味があると思う。

家計簿を閉じて

1年前の自分に声をかけるとしたら、「ノートパソコンを開けたこと自体がえらかったよ」と言うと思う。

うつで布団から出られない日が続いていたのに、退職3日目にExcelを立ち上げたのは、たぶん銀行員の性だった。数字で考えることだけが、唯一の「いつもの自分」だった。曖昧な不安は人を壊すけれど、数字になった不安には対策が立てられる。そのことに、数字に追い詰められながら、数字に救われた1年だったと思う。

まだ働いてはいない。傷病手当金の受給もあと半年ほどで終わる。その先のことを考えると、指先が冷たくなる夜はまだある。

でも、口座残高が100万円を切ったあの夜とは、少し違う。「次に何をすればいいか」が見えているぶんだけ、深く息が吸える。

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※この記事は2026年2月時点の情報に基づく個人の体験・見解であり、法的・医学的アドバイスではありません。
制度の詳細は厚生労働省・協会けんぽ・ハローワークの公式情報をご確認ください。
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