ダイニングテーブルに、健保組合のサイトからダウンロードした傷病手当金の申請書を広げた。ボールペンを持ったまま20分。「被保険者の氏名」の欄すら埋められていない。
廊下の奥で、妻が3歳の息子に絵本を読んでいる声がする。穏やかな声。その穏やかさが、余計にこたえた。
建設会社の総務を10年やった。書類仕事なら誰にも負けないと思っていた。でもあの夜、自分の名前を書く指が動かなかった。結局、私は社労士に傷病手当金の申請を依頼した。報酬は合計で29万円。高かったのか、安かったのか——いまも答えは出ていない。これはその一部始終の記録です。
現場と本社の板挟みで、心が先に壊れた
中堅の建設会社で総務をしていた。社員50人ほどの規模で、総務担当は私一人。現場監督から安全書類が飛んでくれば整理して、本社には経費精算と勤怠管理を回す。人手不足が常態化していて、「それも総務の仕事だろ」がこの会社の合言葉だった。
38歳の春、朝ベッドから起き上がれなくなった。正確に言うと、起き上がれないわけじゃない。起き上がる理由が見つからなかった。妻に「行ってきます」と言う声が出ない。3日休んで、4日目に心療内科を受診した。適応障害。
2ヶ月の休職を経て、退職。辞表を提出したとき、意外と手は震えなかった。むしろ、何も感じなかった。何も感じないことが一番怖いのだと、あとから気づく。
退職後しばらくして、かつての先輩からLINEが来た。「傷病手当金、申請したか? 月給の3分の2くらい出るぞ」。10年も総務をやっていたのに、自分のこととなると何も知らなかった。
「自分でやれる」はずだった
ネットで調べた。傷病手当金の申請は、自分でもできるらしい。健保組合のサイトから申請書をダウンロードし、必要事項を記入し、会社に事業主証明をもらい、医師の意見書を添えて郵送する。手順だけ見れば、そこまで複雑には思えなかった。
問題は、そこから先だった。
記入欄の「療養のため労務に服することができなかった期間」に何をどう書けばいいのか。「傷病の経過」の欄に、自分の状態をどこまで具体的に説明すべきなのか。見本を見ても、自分のケースに当てはめると途端にわからなくなる。ペンを持つ手が止まる。何度やっても同じ場所で止まる。
なにより、会社への連絡が怖かった。退職した会社の人事部に「事業主証明をお願いします」と連絡しなければならない。あの上司と、あのオフィスの空気を思い出すだけで胃が縮んだ。メールの文面を3回書いて、3回消して、そのままパソコンを閉じた。
ダウンロードした申請書は、テーブルの上で3週間放置された。妻が一度だけ「あの書類、進んでる?」と聞いてきた。「うん、もうちょっと」と答えた。嘘だった。1行も進んでいなかった。
深夜2時の検索窓
眠れない夜にスマホを開いた。検索窓に「傷病手当金 申請 難しい」と打ち込む。同じように悩んでいる人のブログがいくつか出てきて、その中に「社労士に依頼した」という体験談があった。
社労士。名前は知っている。年金や労務の専門家。でも、自分が依頼する側になるとは思っていなかった。
費用を調べた。着手金で3万〜5万円。成功報酬として受給額の10〜15%が相場と書いてある。仮に250万円受給できたとして、25万〜37万円が報酬になる計算。正直、高い。妻に話せば黙り込むだろうなと思った。
でも、その「高い」の反対側には、3週間テーブルの上で止まったままの申請書がある。このまま何もせずに時効を迎えるか、数十万円を払って確実に受給するか。息子の寝顔が浮かんだ。この子の保育園の費用、来月どうする。
翌朝、ある社労士事務所のホームページから問い合わせフォームに入力した。「傷病手当金の申請について相談したいです」。送信ボタンを押す指は、辞表を出したときより重かった。
面談は、思っていたより「事務的」だった
初回面談は、社労士事務所の小さな会議室だった。テーブルの上に出されたペットボトルのお茶を、両手で握ったまま座っていた。手のひらが汗ばんでいるのがわかる。
社労士は40代くらいの女性で、物腰は落ち着いていた。「大変でしたね」とか「おつらかったですよね」みたいな言葉は一切ない。最初から最後まで事実確認だけ。その淡々とした空気に、少し救われた。
聞かれたことを書く。最終出社日と退職日。休職の開始日。在職中に心療内科を受診した日付。加入していた健康保険組合の名称。給与明細に書かれている標準報酬月額。退職後、会社の人事と連絡を取っているかどうか。
「次回までにご準備ください」と言われた書類は5種類。離職票のコピー、健康保険の資格喪失証明書、源泉徴収票、心療内科の診断書、直近の通院記録。手元にないものもあったが、「取り寄せ方もご案内しますので」とのことだった。
約40分で面談は終わった。「見通しは明るいです」とも「難しいかもしれません」とも言われなかった。「書類が揃い次第お送りください。こちらで内容を確認して、申請の準備を進めます」。それだけ。
帰りの電車で、少し肩の力が抜けたのを覚えている。何かが解決したわけじゃない。ただ、一人で抱えていた荷物を半分だけ誰かに渡せた。なんだろう、あの感覚は。
待つしかない時間
社労士に書類を送ってから、健保組合へ申請書が届くまで約2ヶ月かかった。
一番助かったのは、会社とのやり取りを全部引き受けてくれたこと。事業主証明の依頼も、社労士の名前で連絡が行った。自分であの会社に電話しなくて済んだ。それだけで、依頼した価値があったと思っている。
申請書が健保組合に届いてからは、最初の振込まで約1ヶ月半。その間、何度も「本当に通るのか」と不安になった。社労士からは「進捗があればご連絡します」と聞いていたが、何も連絡がない日が続くと胸がざわつく。
妻には「大丈夫、手続き進んでるから」と言い続けた。半分は自分に言い聞かせていた。息子が「パパ、お仕事は?」と聞いてくるたびに、返事に詰まった。
支給決定の通知が届いた日。封筒を開ける手が少し震えた。月額約18万円。在職中の月給28万円の約3分の2。その数字を見たとき、ダイニングの椅子に座ったまま、長い息を吐いた。泣きはしなかった。ただ、目の奥が熱くなった。
29万円は、高かったのか
数字で振り返る。
| 項目 | 金額 |
|---|---|
| 傷病手当金の受給総額(約14ヶ月半) | 約260万円 |
| 社労士への着手金 | 3万円 |
| 社労士への成功報酬(受給額の約10%) | 約26万円 |
| 社労士への報酬 合計 | 約29万円 |
| 手元に残った金額 | 約231万円 |
自分で申請していれば、260万円がまるまる手元に残った。差額29万円。小さい金額じゃない。
ただ、正直に書く。あの3週間動けなかった自分が、その後いきなり動けた保証はどこにもない。3週間が3ヶ月になり、気づいたら申請期限を過ぎていた——そんな未来は、十分にありえた。そう考えると、29万円で260万円の受給を確保できたのは、高い買い物ではなかったのかもしれない。
でも同時に、こうも思う。申請書の記入例が手元にあって、会社への連絡テンプレートがあって、手順を一つずつ教えてくれるガイドがあったなら——自分でもできたんじゃないか。29万円を払わずに済んだんじゃないか。
答えは出ない。出ないけど、テーブルの上で止まっていた時間が動き出したのは事実で、私はその対価として29万円を支払った。
これから申請を考えている人へ
ひとつだけ伝えておきたい。「社労士に頼む」も「自分でやる」も、どちらも間違いじゃないということ。
動ける人は、自分で申請したほうがいい。費用はほぼかからない。社労士に依頼する場合の費用感はこちらの記事に詳しくまとまっている。自力申請とサポート利用を比較するならこの記事が参考になると思う。万が一、不支給になった場合の対処法も知っておいて損はない。再申請という選択肢もある。
大事なのは、止まらないこと。私みたいに3週間止まるくらいなら、誰かの手を借りたほうがいい。相手は社労士でもいいし、自治体の無料相談窓口でもいい。止まったまま申請期限を過ぎてしまうことだけが、本当にもったいない。
あのダイニングテーブルで
いま、あの夜のことを時々思い出す。申請書の前で固まっていた自分。廊下の奥から聞こえていた、妻が絵本を読む声。テーブルの上のぬるいお茶。
3歳だった息子は、もう4歳になった。「パパ、きょうはなにするの?」と毎朝聞いてくる。いまの私は、それにちゃんと答えられる。
29万円が高かったかと聞かれたら、まだ答えは出ていない。でも、あのまま止まり続けていたら失っていたものは、29万円では済まなかったと思う。それだけは確かだ。
※この記事は2026年2月時点の情報に基づく個人の体験・見解であり、法的・医学的アドバイスではありません。
制度の詳細は厚生労働省・協会けんぽ・ハローワークの公式情報をご確認ください。
心身に不調を感じている方は、必ず医療機関にご相談ください。

