休職2ヶ月目の木曜日。朝8時12分。妻が出勤したあとのリビングで、冷めかけのコーヒーを飲んでいた。マグカップの底に蛍光灯が映っている。冷蔵庫の低い振動だけが聞こえる部屋で、ふと気づく。昨日もまったく同じことをしていた。おとといも。その前の日も。
適応障害で会社を休み始めてから62日。品質保証の仕事をしていた癖で、つい日数を数えてしまう。休職か、退職か。その答えだけが62日経っても出ない。ノートに書き出し、主治医に聞き、妻に話し、それでも決められなかった3ヶ月間の記録を書く。同じように迷っている誰かに届けばいい。
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「復職できそうですか」と聞かれて黙った
最初の1ヶ月は、とにかく眠った。朝起きて、テレビをつけて、何も頭に入らないまま夕方になる。妻が帰ってきて「今日は何してた?」と聞かれるのが一番こたえた。何もしていない。でも疲れている。その矛盾を説明する言葉が見つからない。
2ヶ月目に入ると、近所のコンビニまで歩けるようになった。片道200メートル。それだけで十分な外出だった。ただ、会社からのメールは開けないまま。総務から届く「お加減いかがですか」の定型文が、やけに重い。
そして休職2ヶ月半。人事部から電話が来た。
「あと3ヶ月ほどで復職できそうですか。今後の人員計画がありまして」
声が出なかった。3ヶ月後の自分がどんな状態なのか、まったく想像がつかない。品質保証の仕事は検査項目を管理して、不良品の原因を追って、報告書を書く。以前はデスクに向かえば自然と手が動いた。今は、書類に自分の名前を書くだけで指が止まる。
「少し考えさせてください」とだけ答えて、電話を切った。スマホを置いた手のひらが、汗でぬるぬるしていた。
ノートに「休職」と「退職」を書いた夜
その晩、妻が寝たあとにキッチンのテーブルでノートを開いた。見開きの左ページに「休職(このまま)」、右ページに「退職」と書く。品証屋の性分で、なにかを判断するときはメリットとデメリットを書き出す。工場の不良品分析と同じ要領。ただ、自分の人生にこの手法を使うのは初めてだった。
左ページ。休職のメリット。
社会保険料は会社が折半してくれる。籍があるから「無職」にならない。復職すれば月収36万円に戻る。ボーナスも出る。住宅ローンの返済に少しは余裕ができる。
右ページ。退職のメリット。
あの工場に戻らなくていい。上司の声を聞かなくていい。品質管理会議で詰められることがない。ゼロから、違う場所でやり直せる。
書き終えて、ペンが止まった。左ページはぜんぶ「お金と制度」の話。右ページはぜんぶ「感情」の話。
デメリットも書いた。休職を続ける不安——「いつか戻らなければいけない」というプレッシャーが消えないこと。退職の不安——傷病手当金の継続受給に条件があること、再就職の見通しが立たないこと、36歳で職歴に空白ができること。
1時間かけたノートを見返して、何もわからなかった。数字で比較すれば休職が有利なのは明らかだった。でも「あの場所に戻る」と頭に浮かべた瞬間、胸のあたりがきゅっと縮む。その感覚は、表の中に書けない。
ノートを閉じて、コップ一杯の水を飲んで、布団に入った。天井の染みを数えながら、答えが出ないまま目を閉じた。
主治医に「辞めたいです」と言った日
翌週の通院日。いつもなら「眠れていますか」「食欲は」に答えて終わる15分の診察。この日は、自分から口を開いた。
「先生、退職を考えているんですが」
主治医は一瞬だけ間を置いた。そして、予想もしなかった言葉を返してきた。
「今は決めなくていいですよ」
拍子抜け、という表現がぴったりだった。「休んだほうがいい」か「環境を変えたほうがいい」か。どちらかの答えがほしかった。どちらでもいいから、背中を押してほしかった。
「適応障害の回復途中で大きな決断をすると、後悔しやすいんです。もう少し体調が安定してからでも遅くないですよ」
品質保証の仕事をしていると、「判断を保留する」という選択肢を忘れがちになる。不良品が出たらすぐ原因究明、即対策。それが正しいと染みついている。
でも——自分の人生は不良品報告書じゃない。
帰り道、100均でクリアファイルを買った。ノートの見開きページをコピーして挟み、本棚の奥にしまった。「今は見なくていい」と、自分に言い聞かせて。
3日後には、また引っ張り出していた。決めなくていいと言われても、頭は勝手に答えを探し続ける。品証屋の癖はしつこい。
日曜の夜に「顔が違う」と言われた朝
休職3ヶ月目の終わり。診断書の更新時期が迫っていた。このまま休職を延長するか、退職届を出すか。先延ばしの期限が、静かに近づいている。
ある日曜日の朝、妻がコーヒーを淹れながらぽつりと言った。
「ねえ、会社のこと考えてるとき、顔が違うよ」
聞き流しかけた。でも妻は続けた。
「平日の昼間にベランダで洗濯物干してるときは普通の顔してる。でも日曜の夜になると別人みたいになるの。会社に行くわけでもないのに」
休職中なのに、日曜の夜が怖い。出勤するわけでもないのに、翌週のことを考えるだけで肩から首にかけてがこわばる。自分では気づいていなかった。いや、気づかないふりをしていたのかもしれない。
その夜、もう一度ノートを開いた。クリアファイルから出して、メリットとデメリットの下に一行だけ書き足した。
「”戻る場所”がある限り、この緊張は終わらない」
翌朝、目が覚めたとき、答えが出ていた。退職する。
論理で決めたとは言えない。傷病手当金の継続受給条件は調べてあった。退職日に出勤扱いにしないこと。在職中の健康保険の被保険者期間が1年以上あること。退職前に傷病手当金の受給要件を満たしていること。全部クリアしている。経済面の計算は済んでいた。
でも、決め手は数字じゃなかった。日曜の夜に顔が変わる生活を、もう続けたくなかった。
退職届をポストに入れた日
退職届は郵送にした。人事部宛の封筒に宛名を書くとき、ボールペンが3回止まった。書き損じたんじゃない。ただ、止まった。
最後に押印して、封を糊付けして、近所のポストに入れた。投函口に白い封筒が吸い込まれていく。取り返しがつかない、と思った。同時に、胸の奥が少しだけ軽くなった。矛盾した感覚が同居している。
翌朝。7時14分に目が覚めた。カーテンの隙間から薄い光が入ってくる。いつもと同じ朝のはず。でも胸にずっとあった圧迫感が、ほんの少しだけ薄い。なくなったわけじゃない。薄い。
後悔するかもしれないとは思った。今でも、ときどき思う。復職していたら住宅ローンの支払いも楽だったし、ボーナスだって出た。でも「あの工場に戻る」と想像したときに胸が詰まる状態のまま休職を続けることは、回復とは呼べない気がした。
退職して2週間後。ベランダで洗濯物を干していたら、隣の家の猫がフェンスの上を歩いていた。5分くらいぼんやり眺めていた。何も考えずに。
休職中は、こういう時間の使い方ができなかった。頭の片隅にいつも「会社」があった。猫がフェンスを歩いているなあ、と思えた。それだけのことが、少しうれしかった。
迷った時間は、止まっていたんじゃない
3ヶ月間迷い続けたことを、無駄だとは思っていない。
当時は「迷っている=動けていない」と思い込んでいた。でも振り返ると、ノートに書き出したこと、主治医に相談したこと、制度を調べたこと、妻の言葉を受け止めたこと。全部、前に進んでいた。答えが出なかっただけで、止まってはいなかった。
休職か退職かで同じように迷っている人がいたら、いくつか参考になりそうな記事を置いておく。
休職から退職への切り替え——タイミングと手続きには、経済面の比較や退職のベストなタイミングがまとめられている。私がノートに書いたメリットデメリットよりずっと整理されていて、先に読んでおけばよかった。
適応障害の休職がどのくらい続くものなのか目安を知りたい人は、適応障害の休職期間の目安と判断基準を。主治医の「今は決めなくていい」の意味が、データでわかる。
退職を選んだ先の生活が不安な人には、適応障害で退職したその後。制度活用のリアルと、退職後の暮らしが書かれている。
あの朝の自分に、ひとつだけ
退職して3ヶ月が経った。傷病手当金は毎月届いている。再就職の見通しは、まだない。
あの頃の自分に何か伝えるなら、「迷っていい。迷いながらでも、調べることはできる」。それだけでいい。
正解なんてわからない。ただ、日曜の夜に顔が変わらなくなった。私にとっては、それが答えだった。
※この記事は2026年2月時点の情報に基づく個人の体験・見解であり、法的・医学的アドバイスではありません。
制度の詳細は厚生労働省・協会けんぽ・ハローワークの公式情報をご確認ください。
心身に不調を感じている方は、必ず医療機関にご相談ください。

