働けない・お金がない。公的制度に救われた体験談

コラム・体験談

財布を逆さにした。テーブルに小銭が散らばる。100円玉が2枚、50円玉が1枚、10円玉が4枚。290円。散らばった硬貨を指で揃えながら、何をやっているんだろうと思った。

通帳の残高は29,000円。家賃の引き落としは10日後。5万8千円。

飲食店を辞めて2ヶ月。うつ病で動けなくなって、日中はカーテンを閉めたままの部屋にいた。使える制度があることすら知らない。ここに書くのは、そこから公的支援にたどり着くまでの話。「働けない、お金もない」——同じ言葉で検索しているあなたに、何かひとつでも届けばいいと思う。

公式LINEでも制度まわりの情報をたまに配信しているので、あわせてどうぞ。

飲食店ホール、4年目の限界

居酒屋チェーンのホールスタッフだった。高校を出てすぐ入って、気づいたら4年目。ランチの11時から深夜のラストオーダーまで、週6で回していた時期もある。

きつかった。体力的にも、精神的にも。ピーク時に店長の怒号が厨房から飛んでくる。「オーダー確認しろって言っただろ」。わかってる。でも満席のホールを走り回りながらメモを見返す余裕なんてなかった。

異変に気づいたのは4年目の夏。シフトの前日になると胃がぎゅっと縮む。朝、目覚ましが鳴っても身体が鉛みたいに重くて、制服に着替えるまでに1時間かかる日が出てきた。

近所の心療内科を受診した。予約は2週間待ち。その2週間がとてつもなく長い。診察の結果、うつ病。医師からは「しばらく休養が必要です」と言われた。

店長には電話で伝えた。声が震えた。「あ、そう。じゃあ代わり探すから」。4年間。ありがとうの一言もなし。それが私の退職だった。

通帳の残高、29,000円

飲食店のホール、月給は18万円。手取りだと15万円ほど。家賃5万8千円、光熱費とスマホで1万5千円、食費3万円。毎月ぎりぎりで、貯金なんてあってないようなものだった。

退職してから2ヶ月。残高は一方的に減っていく。失業保険のことは知っていたけど、自己都合退職だと2ヶ月の給付制限がある。ハローワークに行って手続きして、説明会に出て、「振込は2ヶ月後以降です」と言われた瞬間、頭が白くなった。

2ヶ月。2ヶ月も収入がない。

スーパーで値札を見て暗算する癖がついた。もやし1袋29円。豆腐38円。カゴに入れる前に合計を足していく。500円を超えそうになると、何かを棚に戻す。戻すとき、手が少し震えていることに気づいて、嫌になった。

月末。通帳を記帳した。29,000円。次の家賃が引き落とされたらマイナスになる。

管理会社から届く引き落とし予定のハガキを、開けられなかった。テーブルの上に3日間、裏返しのまま。

市役所の3番窓口で泣きそうになった日

追い詰められて、市役所に行った。

正確には、「家賃 払えない」で検索して、いくつかのサイトに「市区町村の窓口に相談を」と書いてあったからだった。何の制度があるのかもわからないまま、とにかく行くしかなかった。

受付で「生活のことで相談したいんですが」と言ったら、3番窓口に案内された。生活困窮者自立支援の窓口。その名前は後から知った。

担当の女性は、たぶん40代くらい。メガネをかけた落ち着いた人だった。「今の状況を教えてください」と言われて、退職のこと、うつ病のこと、家賃が払えないことを話した。途中から声が詰まった。情けなかった。26歳で、たかが家賃が払えなくて、知らない人の前で泣きそうになっている自分が。

でも、その人は慌てなかった。ゆっくりメモを取りながら聞いてくれて、最後にこう言った。

「住居確保給付金という制度があります。家賃相当額を、原則3ヶ月、最大9ヶ月まで支給できます」

家賃を、払ってもらえる。

意味を理解するのに数秒かかった。制度の名前なんて初めて聞いた。収入要件や資産要件の説明を受けて、私の状況なら対象になるとのことだった。ハローワークの求職申込みが条件だと言われたが、すでに登録してあったのでそこは問題なかった。

帰り道、コンビニの前のベンチに座った。しばらく動けなかった。安堵なのか脱力なのか、自分でもよくわからない。ただ、10日後の引き落としに怯えなくていいということだけが、ぼんやりと頭の中にあった。

「傷病手当金は申請していますか?」

住居確保給付金の手続きを進めている頃、心療内科の定期通院で主治医にこう聞かれた。

「傷病手当金の申請はしていますか?」

知らなかった。名前を聞いたことがある気はするけど、自分に関係のある制度だとは思っていなかった。

主治医の説明はこうだった。在職中から病気で働けない状態にあったなら、退職後も傷病手当金を受給できる可能性がある。支給額はおおよそ月給の3分の2。私の場合、月12万円くらい。最長1年6ヶ月。

在職中に受診を始めていたから、条件を満たしているかもしれないと。

その日の帰り道、スマホで調べた。申請書のダウンロード先、書き方、必要書類。情報はネットにあった。でも、読んでも頭に入ってこない日が3日続いた。文字が目の上を滑っていくだけ。

申請書に取りかかったのは、それから1週間後。記入欄を見て固まった。「療養のため労務に服することができなかった期間」——日本語なのに意味がわからない。見本と自分の状況を照らし合わせて、少しずつ埋めていった。1日では終わらなかった。

一番気が重かったのは、元の職場への連絡。事業主証明を書いてもらう必要がある。あの店長にもう一度関わるのか——結局、本社の人事部宛にメールを送った。返信は3日後。事務的な文面で、1週間ほどで証明書が届いた。拍子抜けするほどあっさりしていた。

面倒だったかと聞かれたら、面倒だった。正直、何度も投げ出しそうになった。でも通帳残高29,000円のあの朝を思い出すと、やるしかなかった。

3つの制度で、出ていくお金が半分になった

傷病手当金の申請が通り、最初の振込があったのは申請から約6週間後。月に約12万円が入ってくるようになった。

住居確保給付金で家賃もカバーされている。

さらに、傷病手当金を調べる中で知ったのが、国民健康保険料の減免と国民年金の免除申請だった。退職後に国保に切り替えると保険料が重いけれど、離職理由や所得状況によっては大幅に減額される場合がある。区役所の国保窓口で手続きしたら、月の保険料が数千円まで下がった。年金は、年金事務所に電話して退職特例の免除を申請。全額免除が認められて、毎月約16,000円の支払いがゼロになった。

在職中、毎月ぎりぎりだった生活が、制度を使うことで変わった。

項目 制度利用前 制度利用後
収入 0円 約12万円(傷病手当金)
家賃負担 5万8千円 0円(住居確保給付金)
国保料 約1万2千円 約2千円(減免後)
年金保険料 約1万6千円 0円(全額免除)

贅沢はできない。でも、スーパーでもやしの値段を暗算しなくてよくなった。

知っているだけで、見える景色は変わる

振り返ると、私が一番つらかったのは「お金がない」こと自体じゃなかった。「この先どうなるかわからない」という見通しのなさだった。

制度を知っただけで、真っ暗だった視界にうっすらと道筋が見えた。劇的な解決じゃない。家賃が払えて、最低限の生活費があって、保険料と年金が軽くなった。それだけ。でも、それだけで夜中に目が覚める回数が減った。

全部、追い詰められてから知った。もっと早く知っていたら、通帳残高29,000円の朝を迎えずに済んだかもしれない。

使える制度の全体像を知りたい人は、退職後に使えるお金の制度一覧がわかりやすいと思う。「働けない、お金もない」の状態で使える支援を探しているなら、働けない・お金がない時に使える公的制度まとめを先に読むといい。傷病手当金を退職後も受け取るための条件や手順は、退職後の傷病手当金にまとまっている。

あのとき検索してよかった

所持金3万円のあの朝、スマホで検索したことが私の分岐点だった。

手続きは面倒だった。窓口に行くのもしんどかった。申請書を見て固まって、2日放置したこともある。でも、ひとつずつ片づけていったら、生活は少しずつ形になっていった。

動けない日は動かなくていい。ただ、動けそうな日が来たとき、この記事が少しだけ地図になれたらいいと思う。

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※この記事は2026年2月時点の情報に基づく個人の体験・見解であり、法的・医学的アドバイスではありません。
制度の詳細は厚生労働省・協会けんぽ・ハローワークの公式情報をご確認ください。
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