金曜の夜、飲み会の帰り。駅までの10分を、部長と二人で歩いた。
「送ってくよ」。断っても聞かない。肩に手が回る。振り払えない。酒の匂いと笑い声が耳元にあって、自然と早歩きになる。改札をタッチするとき、指が震えていた。ホームのベンチに座って、電車を1本見送った。膝の上に置いたスマホの画面がぼやけた。
IT企業のマーケティング部で3年。こういう夜が、月に2回は繰り返された。
これは、セクハラで会社を辞めたあとの話。退職後にオンライン心療内科で診断書を取り、傷病手当金で半年間暮らした記録を、できるだけ正直に書く。公式LINEでも制度まわりの情報を配信しているので、あわせてどうぞ。
「考えすぎじゃない?」
最初は我慢した。飲み会のあとに二人きりになるのを避ければいい。そう思って、忘年会も送別会も早めに帰るようにした。でも、日常のほうが逃げ場がなかった。
企画書のチェックで横に立たれると、肩が触れる距離まで詰めてくる。「ちょっと」と呼ばれて会議室に入ると、ドアを閉められる。話の内容は仕事のこと。でも距離が近い。椅子を引いて離れても、また詰めてくる。周りの人はフロアにいるのに、誰もこの距離感を異常だと思わないのか。——思っていても、言わないだけなのかもしれない。
2ヶ月ほど経って、限界だと感じた。社内の相談窓口にメールを送った。事実だけを、できるだけ冷静に書いた。日付、場所、何をされたか。送信ボタンを押すまでに40分かかった。
返ってきたのは、面談の案内ではなかった。総務の担当者から電話が1本。
「○○部長はああいう人だから。考えすぎじゃない?」
電話を切ったあと、デスクでしばらく動けなかった。怒りとも違う。「やっぱりそうだよね」という、諦めに近い何か。メールの下書きに残っていた相談文を、そのまま削除した。
誰にも言えなかった3ヶ月間
それから3ヶ月。私は誰にも話さなかった。
友人に何て言えばいいのかわからない。「セクハラされてる」と口に出すと、急にドラマみたいで、自分の状況がそこまで深刻だと認めるのが怖かった。母親には心配をかけたくない。一人暮らしのワンルームで、夜になるとスマホで「セクハラ 相談 どこ」と検索しては、画面を閉じた。それを何十回と繰り返した。
身体のほうが先に壊れていった。朝、アラームが鳴っても起き上がれない。身体が重い。鉛を飲み込んだみたいに、腰から下が布団に沈んでいる感覚。「あと5分」と思って、気づくと1時間が過ぎている。遅刻が増えた。
食事はコンビニのサンドイッチを1日ひとつ。それすら残す日もあった。日曜の夜が一番つらい。月曜の朝が来ることが、息が止まるくらい怖い。浴槽のお湯に肩まで沈んで、膝を抱えて、ただ時間が過ぎるのを待った。
3ヶ月で体重が4キロ落ちた。同僚に「痩せたね」と言われるたびに、笑って流した。
改札の前で止まった朝
3ヶ月目の、ある水曜日の朝。駅の改札の前で足が止まった。
動かない。人の流れに押されてホームに出たものの、電車が来ても乗れない。1本見送り、2本見送り、3本目のドアが閉まるのを眺めたところで、ベンチに座り込んだ。
もう無理だ。
その日、会社を休んだ。翌週、退職届をWordで作った。印刷して、クリアファイルに入れて、カバンに入れて——出すまでにさらに3日かかった。人事部に直接持っていく経路を何度もシミュレーションした。部長のデスクの前を通らないルート。情けないと思う。でも、あの人の視界に入るくらいなら、退職届なんて出せなかった。
有給を使い切って、最終出社日。ロッカーの私物をトートバッグに詰めて、誰とも目を合わせずにビルを出た。解放感はなかった。あったのは、「これからどうしよう」という、輪郭のない恐怖だけだった。
通帳の残高と、動かない身体
退職して最初にしたのは、通帳の残高を確認すること。
120万円。IT企業のマーケティング職、月給は手取り22万円だった。一人暮らしの固定費は——家賃7万円、光熱費1万2千円、スマホ代8千円、奨学金の返済1万5千円。食費と日用品で3万円。毎月、約13万5千円が消えていく。
120万 ÷ 13.5万。約9ヶ月。9ヶ月で私の貯金はゼロになる。
失業手当のことは知っていた。でもハローワークに通って、求職活動をして、面接を受ける。今の私にそれができるとは思えなかった。布団の中でスマホをいじるだけの日が続いた。退職すれば楽になると思っていたのに、何も変わらない。むしろ、外に出る理由がなくなった分、1日中パジャマのまま天井を見ている時間が増えた。
画面越しの診察で、はじめて泣いた
ある夜、布団の中でスマホを握ったまま「セクハラ 退職 お金」と検索していた。どのページも「まず傷病手当金を確認しましょう」と書いてある。傷病手当金。名前だけは聞いたことがあった。
調べていくと、給与の約3分の2が最長1年6ヶ月支給される制度だとわかった。精神的な不調でも対象になる場合がある。ただし、医師の診断書が必要。
心療内科に行かなきゃいけない。頭ではわかる。でも、外に出ること自体がしんどかった。電話予約なんてもっと無理。検索しただけで、その夜は何もせず眠った。
数日後、「オンライン 心療内科」というリンクをタップした。自宅からスマホで受診できるクリニック。予約はWebで完結する。電話しなくていい。
予約を入れたのは深夜1時。眠れなくて、考えるのが嫌で、勢いだった。翌日の自分が「やっぱりキャンセルしよう」と言い出す前に、確定ボタンを押した。
診察当日。キッチンのテーブルにスマホを立てかけた。画面に医師の顔が映る。「どうされましたか」。話し始めたら、2分もしないうちに声が震えた。3ヶ月間、誰にも言えなかったことが一気に溢れてきた。泣くつもりなんてなかった。でも涙が止まらなくて、ティッシュを取りに立つ余裕もなく、Tシャツの袖で顔を拭った。
医師は急かさなかった。「ゆっくりで大丈夫ですよ」と、それだけ。
15分ほどの診察だったと思う。「適応障害の可能性がありますので、診断書をお出しできますよ」。その一言で、肩から何かが落ちた。
申請書1枚に5日かかった
診断書は1週間ほどで郵送されてきた。封筒を開けるとき、指先が冷たかった。「適応障害」。自分の状態に名前がつくと、安心と怖さが同時に来る。不思議な感覚だった。
ここから傷病手当金の申請。加入している健保組合のサイトから申請書をダウンロードして、ファイルを開いて——固まった。
「療養のため休んだ期間」「報酬の支払いの有無」。言葉の意味はわかるのに、自分の状況をどう書けばいいかわからない。退職後の申請ってどう記入するのか。「事業主の証明」欄は辞めた会社に頼むのか。
1日目。3行だけ書いて、閉じた。
2日目。ネットで記入例を探しながら半分まで埋めた。
3日目。書いた内容が合っているか不安になって、全部消した。
4日目。何もできなかった。ベッドから出られなかった。
5日目。朝、なぜか急にやる気が出て、2時間で書き上げた。
自分でも笑ってしまう。書類1枚に5日。でもあのときの私には、それが精一杯だった。
一番気が重かったのは、元の会社に事業主証明を依頼するメール。あの会社。あの部長がいる会社に、もう一度連絡を取る。宛先は人事部だとわかっていても、「送信」を押すまで画面を15分は見つめていた。返信は4日後。事務的な一文と、証明書のPDF。拍子抜けするほどあっさりしていた。
医師の意見書欄は、次のオンライン診察で記入してもらった。全部揃えて健保組合に郵送。あとは待つだけ。体力的にはたいしたことをしていないのに、精神的にはかなり消耗した。
月14万円で暮らした半年間
傷病手当金が振り込まれたのは、申請から約1ヶ月半後のこと。
額面の月給が約26万円だったから、支給額は月に約14万円。固定費13万5千円を引くと、自由に使えるのは5千円。贅沢はできない。でも、「収入ゼロがいつまで続くかわからない」という恐怖と、「来月も振り込まれる」という見通しがある状態は、まったく違った。
最初の1ヶ月は、ほとんど外に出なかった。カーテンを閉めたまま、1日の大半をベッドで過ごす。ネットスーパーで最低限の食材を頼んで、パスタを茹でる。それすら面倒な日は、冷凍ご飯に卵を落としただけのもの。
2ヶ月目の終わり頃から、少しずつ変化があった。朝、カーテンを開ける日が出てきた。近所のドラッグストアまで歩いて往復できる日も。劇的な回復なんかじゃない。「昨日より、ちょっとだけ動けた」。その積み重ねだった。
4ヶ月目。駅前のカフェに行けるようになった。家にいるとぐるぐる考えてしまうから、場所を変えたかった。コーヒー1杯で2時間座る。本を開いても、3ページくらいしか読めない日もある。でも、家の外に「自分の居場所」ができたことが、思ったより大きかった。
半年間の傷病手当金の総額は、約84万円。その間の生活費は約80万円。通院費はオンライン再診料と処方箋代で月に約3千円、半年で約1万8千円。貯金は100万円ほど残った。もし業者にサポートを頼んでいたら——成功報酬で数十万円——生活はもっと早く行き詰まっていたと思う。
あのとき知りたかったこと
セクハラで退職すると決めたとき、私は何も知らなかった。使える制度のことも、退職の進め方も、お金の守り方も。全部、辞めたあとに自分で調べた。もしあのとき知っていたら、もう少し落ち着いて動けたかもしれない。
セクハラで退職する場合、会社都合にできるケースがある。証拠の残し方や退職までの手続きは、セクハラで退職する時の手続きと使える制度まとめに整理されているので、これから動く人は先に読んでおいてほしい。
退職後の傷病手当金の申請について詳しく知りたい人は、退職後の傷病手当金の申請手順を。オンラインで診断書が出るのか不安な人は、オンライン心療内科で診断書はもらえる?も参考になると思う。
あの帰り道の自分に
駅までの10分間、部長の隣を歩いたあの夜。逃げ出せなかった自分を、ずっと責めていた。
今も、全部大丈夫とは言えない。でも、傷病手当金のおかげで生活は壊れなかったし、あのとき会社を辞めた判断は間違っていなかったと、少しずつ思えるようになった。
もし同じ場所にいるなら、ひとつだけ。自分で動ける部分は、思っているより多い。診断書を取って、書類を書いて、郵送する。それだけで、生活を守れる制度がある。この記事が、その最初の一歩の手前にいるあなたの背中を、ほんの少しだけ押せたなら、それで十分です。
※この記事は2026年2月時点の情報に基づく個人の体験・見解であり、法的・医学的アドバイスではありません。
制度の詳細は厚生労働省・協会けんぽ・ハローワークの公式情報をご確認ください。
心身に不調を感じている方は、必ず医療機関にご相談ください。

