ナースステーションの時計が午前2時を指していた。点滴の交換に向かおうと立ち上がった瞬間、胸の奥がぎゅっと締まった。息が吸えない。廊下の蛍光灯がぐにゃりと歪んで、膝から力が抜けた。壁に手をつく。指先が痺れて、自分の手なのに自分の手じゃないみたいだった。
「大丈夫? 顔、真っ白だよ」
先輩の声が遠くから聞こえた。大丈夫じゃない。でも「大丈夫です」と答えた。看護師が廊下で座り込むわけにはいかない——そう思ったのに、次の瞬間にはしゃがみ込んでいた。
これが、私がパニック障害で仕事を辞めるまでの始まりだった。公式LINEでも退職後の制度まわりの情報を配信しているので、あわせてどうぞ。
ナースステーションの床
あの夜のことは、1年経った今でもはっきり覚えている。
最初の発作ではなかった。半年くらい前から、夜勤のたびに胸がざわつくことがあった。でも「疲れてるだけ」「寝不足だから」と自分に言い聞かせていた。総合病院の外科病棟、3交代制。夜勤は月に8回。患者さんの急変に備えて神経を張りつめる16時間。終わって帰ると、布団に倒れ込むだけの日々だった。コンビニのおにぎりを2つ食べて寝る。起きてまた病棟へ行く。3年目の冬、そのサイクルがついに壊れた。
あの日、先輩に支えられてナースステーションの椅子に座った。師長が駆けつけてきて、「早退していいよ」と言ってくれた。でもその優しさが、逆につらい。病棟には入院患者が40人いる。私が抜けたら、残りの2人で朝まで回すことになる。
タクシーで帰った。後部座席で窓を全開にして、12月の冷たい空気を吸い込んだ。息はできる。でも胸のざわつきが消えない。一人暮らしのアパートに着いてからも、靴を脱がずに玄関に座り込んだまま、30分くらいそうしていたと思う。
「看護師のくせに」
翌日から、病棟に行くのが怖くなった。
怖いのは仕事じゃない。同僚の目。「昨日倒れた人」として見られること。もっと正確に言えば、「精神的な問題で倒れた看護師」として扱われること。
看護師は、患者さんの心身をケアする側の人間。「あなたがケアされてどうするの」——誰にも言われていない。言われていないのに、頭の中でずっとその声が鳴っていた。自分で自分を責めているだけだとわかっている。わかっているのに止まらない。
母に電話で「最近ちょっとしんどい」とだけ伝えたら、「看護師は大変だものね。でもやりがいのある仕事じゃない」と返ってきた。悪気はないのだろう。でも私が聞きたかったのはその言葉じゃなかった。何が聞きたかったのかも、自分ではよくわからないけど。
心療内科に行くべきだと、頭ではわかっていた。バイタルが乱れて、発汗があって、動悸が止まらない。看護の知識があるぶん、自分の状態がどういうことか見当はつく。パニック障害の可能性が高い。でも、わかっているのと受け入れるのは別の話だった。
同じ病院の精神科に行くなんて、絶対に無理。院外の心療内科を調べても、予約の電話をかける気力がない。何より、白衣の人がいる場所に行くこと自体が怖かった。病院が、発作のトリガーになりそうで。
2週間、ずるずると日勤だけ出勤を続けた。師長が夜勤を外してくれたおかげで何とか保っていたけど、更衣室で白衣に腕を通すたびに身体がこわばった。ロッカーの前で深呼吸を3回。それが毎朝の儀式になった。
画面越しの診察室
転機は、SNSで流れてきた投稿だった。
「オンラインで心療内科受診した。家から出なくていいの助かる」
大学時代の、もう何年も会っていない知り合いのストーリー。スクショを撮って、そのまま1週間放置した。
でも気になっていた。病院に行かなくていい。電話もしなくていい。Webで予約して、スマホで診察を受けられる。
金曜日の夜、帰宅してベッドに潜り込んだまま、そのクリニックの予約ページを開いた。問診票をスマホで入力するだけ。症状の選択肢にチェックを入れていく。「動悸」「発汗」「息苦しさ」「特定の場所や状況で不安が強くなる」——チェックを入れるたびに、自分の状態が文字になっていく。それだけで少し楽になった気がしたのは、不思議だった。
診察日。休みの日の昼過ぎ、ワンルームの部屋でスマホを立てかけた。パジャマのまま。髪もまとめていない。
医師は穏やかな口調で、質問をひとつずつ投げかけてきた。「いつ頃からですか」「どんな場面で起きますか」「頻度はどのくらいですか」。私はつい看護師の癖で、症状を医学用語で並べようとした。「過換気の前兆があって、頻脈と——」。でも途中で言葉が詰まった。
「夜勤が怖いんです。白衣を着るのが怖い。でも、怖いって言うのも、怖い」
そう口にしたとき、涙が出た。まさかスマホの画面越しに泣くとは思わなかった。ティッシュの箱が手の届かない場所にあって、袖で拭った。
15分ほどの診察だった。「パニック障害ですね。診断書をお出ししますので、しばらくお休みしてください」。初診料と診断書料で合わせて7,000円くらい。診断書は後日、郵送で届いた。
退職代行に3万円払った日
診断書が届いてから、問題は「辞め方」に移った。
師長に休職を相談しなきゃいけない。でも、病棟の人手不足は私が一番よく知っている。常にギリギリのシフト。私が抜けたら、残された同僚にしわ寄せが行く。
「迷惑をかける」。その四文字が、胸の上に石みたいに乗っていた。
休職ではなく、退職を選ぼうと思った。もう戻れる気がしなかった。でも師長に電話する、人事部に行く、退職届を書く——どれもハードルが高すぎた。受話器を持とうとするたびに、あの夜勤の夜と同じざわつきが胸に広がる。
退職代行サービスを使った。費用は3万円。
後ろめたかった。看護師が退職代行。自分でもどうかと思った。貯金が心もとない中で3万円の出費は小さくない。でも「自分で電話できない」という事実は変わらない。師長とのやり取りも、ロッカーの荷物の引き取りも、全部任せた。
退職が完了した日、安堵と罪悪感が同時に押し寄せた。病棟の同僚のLINEグループを開く勇気はなかった。通知をオフにして、スマホを裏返しに置いた。
収入ゼロ、貯金90万円の計算
退職してから最初の1週間は、ただ寝ていた。
家賃6万8千円。光熱費、スマホ代、奨学金の返済。毎月の固定支出が約12万円。貯金は90万円ほど。夜勤手当がなくなった今、収入はゼロ。電卓を叩かなくても、7ヶ月半で底を突くことはわかっていた。
ハローワークに行こうにも、電車に乗れない。バスも厳しい。そもそも外に出ること自体がまだ怖い。失業保険の手続きすら、一人では難しかった。
傷病手当金のことを知ったのは、退職代行の担当者からのメールだった。「在職中に健康保険に加入されていて、退職前に受給要件を満たしていれば、退職後も傷病手当金を受け取れる可能性があります。ご確認ください」。事務的な一文。でもそこから自分で調べ始めた。
月給28万円の3分の2で、約18万円。最長1年6ヶ月。すぐに破綻する計算ではなくなる。
申請書類は健保のサイトからダウンロードした。記入は正直、面倒だった。「療養のために労務に服することができなかった期間」——意味はわかるけど、自分の状況をどう書けばいいのか迷って、健保組合のWebチャットで聞いた。電話は、まだ無理だった。チャットで質問できるだけで助かった。医師の意見書欄は、2回目のオンライン診察のときにお願いした。
書類を揃えて郵送するまでに、10日かかった。たかが書類。でも、布団から起き上がってテーブルでペンを持つ、その動作が重い日もあった。
知っておいてほしいこと
退職から4ヶ月が経った。傷病手当金は申請から6週間ほどで振り込まれた。その間は貯金を切り崩した。通帳の残高が減るのを見るのはしんどかったけど、「来月には入る」と思えるだけで、夜中に目が覚める回数は減った。
パニック障害で退職を考えている人に、「簡単だよ」とは言えない。簡単ではなかった。でも、使える制度は使ったほうがいい。知っているかどうかで、退職後の生活はかなり変わる。
パニック障害の診断書の取り方はこちらの記事に詳しくまとめられている。辞めたいけど選択肢がわからないという人は、パニック障害で仕事を辞めたい時の選択肢と制度が参考になると思う。オンラインで診断書が出るのか不安な人は、この記事を読んでみてほしい。
布団の中から
今も週に1回、オンラインで診察を受けている。近所のコンビニまで歩ける日もあれば、玄関で引き返す日もある。看護師に戻れるかと聞かれたら、正直わからない。
ただ、あの夜ナースステーションの床に膝をついたとき、「もう終わりだ」と思った。あの感覚と比べたら、布団の中からスマホで申請書を書いている自分は、少しだけ前にいる。
少しだけ。でも、ゼロじゃない。
※この記事は2026年2月時点の情報に基づく個人の体験・見解であり、法的・医学的アドバイスではありません。
制度の詳細は厚生労働省・協会けんぽ・ハローワークの公式情報をご確認ください。
心身に不調を感じている方は、必ず医療機関にご相談ください。

