5時間目の数学。黒板に二次方程式の解の公式を書いている途中で、チョークを持った右手がぶれた。教室が傾く。左手で黒板の縁をつかんで、なんとか体勢を保つ。後ろの席の生徒が「先生、大丈夫ですか」と声を上げた。「大丈夫。ちょっと立ちくらみ」。大丈夫じゃなかった。
めまい、動悸、首の後ろがずっと張っている感覚。2年前から続いていた。内科に3回行って、血液検査もCTも「異常なし」。だから気のせいだと思うことにしていた。教師が気のせいで休むわけにはいかない。35人の生徒を前に、明日も授業をしなきゃいけない。
この記事は、自律神経失調症で休職し、そのまま退職を選んだ40歳の公立中学校教師の記録です。同じような不調を抱えている方に、ひとつの参考になればと思って書きました。公式LINEでも制度まわりの情報を配信しているので、あわせてどうぞ。
「異常なし」でも体は動かなくなっていく
最初に体の異変を感じたのは、38歳のとき。4月の始業式の翌週だった。朝、通勤電車に乗ろうとしたら心臓がバクバクして、ホームで立ち止まった。寝不足だな、と思った。その週は新年度の準備で毎日23時まで学校にいたし、土日もどちらか出勤。教師の4月はそういうものだから、体調の悪さは当然のコストだと片づけた。
でも、5月になっても治らなかった。
めまいが週に2〜3回。授業中にフラッとくることもあれば、職員室でパソコンに向かっているときに突然視界が揺れることもある。首の後ろが常に重い。夜、布団に入ると心臓の音が耳のすぐそばで鳴っているみたいで、2時間おきに目が覚めた。
内科を受診した。血液検査、心電図、頭部CT。「特に異常はありませんね」。3回、違う病院で同じことを言われた。
異常がないと言われると安心する。同時に、困る。原因がわからないのに、症状だけがある。6限目が終わると教卓に手をついてこっそり目を閉じるようになった。部活の指導中、生徒にボールを投げ返す力が出ない。「今日は見学にするわ」と笑って言い訳した。
妻にはあまり詳しく話さなかった。「疲れてるだけ」。6歳の息子を風呂に入れるのがしんどくて、寝室に逃げ込む夜が増えていた。妻の「最近、なんか変だよ」という一言を、聞こえないふりをした。
2年。2年間、この状態をごまかし続けた。体重は8キロ落ちていた。
内科の先生が言った一言
40歳になった秋。4回目の内科受診。いつもの問診のあと、先生がいつもと違うことを言った。
「一度、心療内科を受診されてみませんか」
心療内科。その言葉が頭の中で引っかかった。
「心の病気ってことですか」
先生は少し間を置いて、「自律神経のバランスが乱れている可能性があります。検査では出ない種類の不調があるんです」と答えた。
正直、抵抗があった。心療内科は自分とは関係のない場所だと思っていた。教壇に立って、大声を出して、部活の遠征で生徒を引率する——そういう仕事をしている人間が行くところじゃないと。
でも帰りの電車で、窓に映った自分の顔を見て驚いた。目の下のくま。頬がこけている。38歳のときに買ったスーツのズボンが、ベルトなしでは落ちるようになっていた。
翌週、妻に「心療内科に行ってみようと思う」と言った。妻は一瞬だけ目を見開いて、「うん、行こう」と返した。行こう。一人じゃなくて、一緒に。その一言に少しだけ救われた。
「休んでいいんですよ」
心療内科の初診日。待合室の椅子に座って、問診票を書いた。ボールペンの先が震えているのが自分でわかる。「いつ頃から症状がありますか」の欄に「2年前」と書いた。その文字をしばらく見つめた。2年。長かった。
医師は50代くらいの穏やかな男性だった。問診票を見ながら、ゆっくり質問してくる。めまいの頻度、睡眠の状態、食欲の変化。答えていくうちに、自分の不調を初めてちゃんと言葉にしている気がした。内科では「めまいがします」としか言えなかった。ここでは「夜中に3回目が覚めます」「授業中に心臓がバクバクします」「息子を抱っこするのがしんどいです」——全部話した。
診察の最後に、医師がこう言った。
「自律神経失調症ですね。一度、しっかり休みましょう。診断書を書きますから」
その一言を聞いたとき、何が起きたかというと——泣いた。40歳の男が、診察室で泣いた。恥ずかしかったけど止められなかった。2年間「気のせい」で通してきたものに、ようやく名前がついた。そして「休んでいいんですよ」と言われた。
教師は休めない。教壇を空けたら生徒に迷惑がかかる。ずっとそう思い込んでいた。診察室を出たとき、首の後ろの重さが少しだけ軽くなった気がする。気のせいかもしれない。でもあの日は、2年ぶりに夜中に一度も起きずに眠れた。
診断書の取り方や費用については、自律神経失調症の診断書のもらい方と費用の目安に詳しくまとめています。
休職の最初の2ヶ月は、回復なんてしなかった
校長に診断書を提出して、引き継ぎ書類を作って、職員室のデスクを片づけた。同僚が「ゆっくり休んでね」と言ってくれた。笑顔で「ありがとうございます」と返して、車に乗った瞬間、ハンドルを握ったまま動けなくなった。
最初の2ヶ月は何もできなかった。朝起きてリビングに行く。テレビをつける気力もない。ソファに横になって天井を見る。昼に妻が作ってくれたうどんを半分だけ食べる。午後、布団に戻る。
息子が幼稚園から帰ってくる。「パパ、遊ぼう」。「ごめん、今日はしんどい」。何回言っただろう、この台詞。
罪悪感が一番つらかった。教室では別の先生が自分のクラスを見てくれている。その先生にも生活がある。息子にも妻にも負担をかけている。休んでいるのに回復しない自分が、ただ情けなかった。
傷病手当金の申請は、妻がほとんどやってくれた。申請書に名前と住所を書くことすら億劫だった。手続きが面倒とか、書類が多いとか、そういう次元の話じゃない。ペンを持つ手が重い。それだけ。
休職の手続きや傷病手当金の申請については、自律神経失調症で休職する手順と傷病手当金の申請に詳しくまとめてあります。
退職を選んだ日のこと
休職3ヶ月目あたりから、少しだけ動けるようになった。近所のコンビニまで歩いて、缶コーヒーを買って、ベンチで飲む。それだけのことに30分かかったけど、家の外に出られた。
4ヶ月目に校長から電話があった。「体調はいかがですか。復帰の時期について、一度お話しできますか」。受話器を持つ手が冷たくなった。
復帰。教壇に戻る。35人の視線。部活。保護者会。テスト作成。生徒指導——想像しただけで、治まりかけていためまいが戻ってきた。
妻と何度も話した。息子の教育費のこと。住宅ローンが月9万円あること。教師の給料は安定している。辞めたら、どうやって家族を養うのか。
でも体が答えを出していた。復帰を想像するたびに動悸がする。それがすべてだった。
休職6ヶ月目。校長室で退職届を出した。校長は「残念です」と言った。15年勤めた学校を出る日、下駄箱に入ったままの自分の上履きが目に入って、少しだけ泣きそうになった。泣かなかったけど。
傷病手当金で暮らした日々の記録
退職後、収入は傷病手当金だけになった。月額約22万円。在職中の月給が33万円だったから、ざっくり3分の2。住宅ローンが9万円、光熱費が2万円、食費が5万円、息子の幼稚園が2万5千円。毎月ギリギリの生活だった。
退職後の傷病手当金の受給については傷病手当金を退職後も受け取る方法に詳しく書いてあります。
お金の不安は常にあった。でも、生活リズムだけは立て直そうと決めた。妻と2つだけルールを作った。「朝7時に起きる」「夜22時に布団に入る」。体調が悪くても、とりあえずリビングに行く。カーテンを開ける。光を浴びる。休職中はこれすらできなかったから、まずはここから。
朝食を食べたら30分だけ散歩する。最初は家の周りを一周して終わり。それが1ヶ月で公園まで歩けるようになった。2ヶ月目には、息子の幼稚園の送り迎えを自分でやるようになった。
スマホは寝室に持ち込まない。眠れなくても横になっている。漢方を飲み始めたのもこの頃で、目に見える変化があったかは正直わからない。でも「何かやっている」という感覚が、小さな支えにはなった。
3ヶ月目に、近所の図書館に行けるようになった。本を30分読む。集中できない日は、ただ座っているだけ。でも「外に出て、椅子に座れた」。それだけでよかった。
劇的な回復なんてない。1日単位で見たら、昨日との違いはわからない。でも1ヶ月前と比べると、確かに変わっている。そういう回復の仕方だった。
少しずつ体に戻ってきたもの
退職から5ヶ月目のこと。
息子と公園でキャッチボールをした。ボールを投げて、息子が受ける。息子が投げて、私が受ける。たったそれだけ。でも半年前の自分にはできなかった。
夜中に目が覚める回数が減った。4回が3回になり、2回になり、たまに朝まで眠れる日が出てきた。食欲が戻って、体重が3キロ増えた。妻が「ちょっと顔色よくなったね」と言ってくれた日のことは、たぶんずっと覚えていると思う。
めまいは完全には消えていない。疲れた日や、天気が崩れる前にはまだ出る。でも、教壇に立っていた頃の「いつ倒れるかわからない」という恐怖はなくなった。
仕事のことは、まだ考えられない。教師に戻るのか、別の道を探すのか。住宅ローンの繰り上げ返済は止まったまま。貯金は月に5万円ずつ減っている。現実として重い。
でも今は、「考えられるようになったこと」自体が前に進んでいる証拠なんだと思う。半年前は、明日のことすら考えられなかったから。
この経験を振り返って
2年間「気のせい」で済ませたことが、一番の後悔だと思う。
内科で「異常なし」と言われて、そこで止まってしまった。心療内科という選択肢が頭に浮かばなかった。もし1年目の段階で受診していたら、休職せずに済んだかもしれない。それは今でもわからない。でも少なくとも、ここまで悪化する前にどこかで止められたんじゃないかとは思う。
検査で「異常なし」なのに症状が続いている方へ。心療内科という選択肢があります。診断書のもらい方や休職の手順は、このサイトにまとめてあるので、読んでみてください。
まとめ
教壇を離れて10ヶ月が経った。回復は直線じゃなくて、良い日と悪い日の繰り返し。でも、黒板の前で倒れそうになりながら「大丈夫」と言い続けていたあの頃には、もう戻っていない。
この記録が、いま体の不調を「気のせい」と片づけている誰かの目に止まればいい。それだけで、書いた意味はある。
※この記事は2026年2月時点の情報に基づく個人の体験・見解であり、法的・医学的アドバイスではありません。
制度の詳細は厚生労働省・協会けんぽ・ハローワークの公式情報をご確認ください。
心身に不調を感じている方は、必ず医療機関にご相談ください。

