産後うつで退職した私の体験談。復職できなかった日々のこと

コラム・体験談

復職予定日まで、あと6週間。カレンダーの数字を見るたびに、胸のあたりが重くなった。

隣の部屋で娘が泣いている。ミルクは20分前にあげた。おむつも替えた。室温も確認した。泣き止まない理由がわからない。抱き上げると、娘の顔がぼやけた。自分が泣いていると気づくまで、数秒かかった。

メーカーの総務として5年働いて、産休に入って、育休を取って。「復職したら時短にしよう」「保育園が決まったらなんとかなる」——そう思っていた頃の自分が、別人のように遠い。この記事は、産後うつで退職するまでの私の記録です。同じ場所にいる誰かの目に留まったらいいなと思って書きました。公式LINEでも制度まわりの情報を配信しているので、あわせてどうぞ。

保育園の内定通知が届いた日

娘が生後7ヶ月のとき、第一希望の保育園から内定通知が届いた。夫は「よかったね」とガッツポーズをした。私も笑った。笑ったと思う。正しくは、笑おうとした。

通知書をキッチンのテーブルに置いたまま、その夜から眠れなくなった。

正確に言うと、娘の夜泣きで細切れの睡眠だったのは前からだ。でもそれまでは、授乳を終えて娘が寝れば、自分も落ちるように眠れていた。保育園の内定が届いてからは、娘が寝静まっても目が冴えて、天井の染みを数えるような夜が続いた。

復職のことを考える。総務の仕事を思い出す。デスクの配置、隣の席の先輩の香水のにおい、月末の請求書処理、朝礼のスピーチ当番。どれも普通のことなのに、ひとつひとつが胸を圧迫してくる。

夫に「眠れない」と言ったのは、3日目の朝だった。「娘が夜泣きするから?」と聞かれて、「たぶんそう」と答えた。本当は違う。でもそのときは、自分でも何が起きているのかわからなかった。

涙が止まらない午後3時

生後8ヶ月。復職まであと1ヶ月を切った頃、症状ははっきりした形を取り始めた。

午後3時になると泣く。理由はない。娘を膝に乗せて絵本を開いているとき、洗い物をしているとき、洗濯物を畳んでいるとき。決まって午後3時頃。涙が勝手に出てくる。拭いても拭いても止まらなくて、娘が不思議そうにこちらを見上げているのに、抱きしめることもできなかった。

「母親なのに」。その言葉が頭の中で何度も再生された。

母親なのに、子どもを抱く気力がない。母親なのに、ミルクの時間を忘れかける。母親なのに、娘が泣いているのに自分も泣いている。

スマホで「産後 涙が止まらない」と検索した。マタニティブルーは産後2週間で落ち着くと書いてあった。——8ヶ月経っている。

「産後うつ」。その3文字を、画面で見つめた。文字が自分のことを指しているのだと認めるまでに、もう数日かかった。

「母親失格」と「仕事も中途半端」のあいだ

復職が近づくにつれて、不眠は悪化した。夜中の2時に目が覚めて、4時まで天井を見つめる。そのまま娘の朝の授乳が始まる。

日中は頭にずっと霧がかかっている。買い物に出ても、何を買いに来たか忘れる。冷蔵庫の前に立って、5分間何も取り出せないまま扉を閉める。

自分の中に2つの声があった。

「復職しなきゃ。家計もあるし、キャリアも途切れる。みんなやってる」

「でもこの状態で仕事なんてできるわけない。娘を保育園に預けて、泣きながら書類整理するの?」

どっちを選んでも「中途半端」だった。復職すれば育児が中途半端になる。退職すれば仕事が中途半端になる。何年も積み上げてきた総務のキャリアを手放す恐怖と、このまま復職しても娘にも会社にも迷惑をかけるだけだという確信のあいだで、身動きが取れなくなっていた。

1日に何回も娘に「ごめんね」と言っていた。何に謝っているのか、自分でもよくわからなかった。

夫の「辞めていいよ」

復職予定日の3週間前、夕食のあとだった。娘を寝かしつけて、リビングのソファに並んで座っていた。テレビはついていたけど、何の番組だったか覚えていない。

夫が先に口を開いた。「最近、顔色悪いよ」

「そう?」と答えながら、テレビの画面から目をそらさなかった。

「仕事、辞めていいよ」

不意打ちだった。夫は続けた。「お金のことは俺の給料でなんとかする。足りなくなったらそのとき考えよう」

何か言わなきゃと思った。「大丈夫」と言うのか、「ありがとう」と言うのか。でも口を開いたら、言葉の代わりに嗚咽が出た。ソファの肘掛けに顔を埋めて、声を殺して泣いた。夫は何も言わず、背中に手を置いていた。

泣き止んでから、ぽつぽつと話した。眠れないこと。午後になると涙が出ること。娘を抱けない日があること。復職のことを考えると息ができなくなること。

全部話すのに、30分くらいかかったと思う。夫は「うん」「うん」と頷いていた。最後に「病院行こう」と言った。「辞めるかどうかは、そのあとで決めたらいい」と。

オンラインで受診した翌週のこと

心療内科の予約を取ったのは夫だった。私は電話ができる状態じゃなかった。オンラインで予約できるところを探してくれた。「赤ちゃんが横にいても大丈夫って書いてあるよ」——その一言で、少しだけハードルが下がった。

診察は娘が昼寝している隙に受けた。ベッドの横でスマホを立てかけて、小声で話した。途中で娘が起きて泣き出したけど、医師は「大丈夫ですよ、中断しましょう」と笑ってくれた。

15分の診察で、「産後うつの症状が出ていますね」と言われた。診断書を出してもらえることになった。初診料と合わせて3,000〜5,000円ほど。

診察が終わって画面を閉じたあと、娘を抱き上げた。抱けた。それだけのことなのに、少し泣いた。

退職届は、その翌週に出した。人事部にメールで産後の体調不良を伝えて、診断書のコピーを添付した。上司から電話がかかってきたけど、「体調が回復したら改めてご連絡します」とだけ言った。引き止めはなかった。あっけなかった。5年いた会社の最後が、3分の電話だった。

学び・気づき

退職してから知ったことがいくつもある。産後うつでも傷病手当金の対象になること。在職中に受給を開始していれば退職後も継続できること。使える制度は、知らなければ存在しないのと同じだった。

当時の私が調べる余裕なんてなかったように、今この記事を読んでいるあなたにもその余裕がないかもしれない。だから、リンクだけ置いておく。

診断書のことを知りたければ → 産後うつの診断書をオンラインで取得する方法

復職できない場合の選択肢を整理したければ → 産後うつで仕事復帰できない時の選択肢と制度

退職後のお金のことが気になれば → 産後の退職と傷病手当金|知っておくべきお金の制度

余裕があるときに、どれかひとつだけ開いてみてください。

まとめ

退職届を出した日から半年が経った。娘は1歳を過ぎて、つかまり立ちを始めた。私はまだ完全に回復したわけじゃない。午後に気分が沈む日もある。でも、あの頃のように毎日泣くことはなくなった。

「辞めてよかった」とは、まだ言い切れない。キャリアを手放した後悔はたぶんこの先もどこかに残る。ただ、あのまま復職していたら壊れていたとも思う。正解かどうかはわからない。わからないまま、今日も娘のご飯をつくっている。それでいいと、最近やっと思えるようになった。

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※この記事は2026年2月時点の情報に基づく個人の体験・見解であり、法的・医学的アドバイスではありません。
制度の詳細は厚生労働省・協会けんぽ・ハローワークの公式情報をご確認ください。
心身に不調を感じている方は、必ず医療機関にご相談ください。

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